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木更津分譲住宅地の歴史

都市計画の歴史

都市計画の歴史は非常に古く、古代ギリシャや古代ローマでは計画に基づいて街づくりが行われていました。日本での都市計画は平城京の奈良時代まで遡ります。商や住を含めた複合的な町づくりという意味では戦国時代の城下町に見ることができます。江戸時代には幕府のお膝元であり、城下町であった江戸は大きな発展を遂げ、その当時では世界一の人口だったと言われています。

都市写真

近代や現代に入ってからの住環境の整備は関東大地震がきっかけでした。東京、横浜などの下町では既に木造住宅が密集、街区の整備も遅れており、震災以前から不燃造の集合住宅の必要性が認識されていました。震災後、義捐金をもとに設立された財団法人「同潤会」は不燃性の鉄筋コンクリート造の「同潤会アパート」を16ヶ所建設したことで知られています。



戦後、GHQにより特殊法人「日本住宅公団」が設立されたのは1955年で、勤労者のために住宅及び宅地の供給をおこなってきました。これは日本の戦後復興と工業化の歴史と重なります。日本住宅公団は1981年に住宅・都市整備公団法により解散。その業務は「住宅・都市整備公団」に引き継がれます。住宅・都市整備公団は1999年に「都市基盤整備公団」となり、2004年には「地域振興整備公団」の地方都市開発整備部門と統合して「都市再生機構」になりました。

その昔、木更津は千葉県ではなく、「木更津県」だったことをご存知でしょうか。明治時代の1871年に廃藩置県が実施された際、木更津県が誕生しましたが、1873年に千葉県が誕生した際に木更津県は廃止されます。その後、1897年に君津郡となり、木更津はその政治的中心地となります。1930年代、木更津は軍都として発展し、工廠で働く人達とその家族が移住してくることとなり、急激に人口が増加しました。急激な人口増加を受け止めるため、木更津町、巖根村、清川村、波岡村の合併協議が進められ、1942年から市制が開始され、木更津市が誕生します。

木更津市の都市計画と分譲住宅地の開発の起こり

全ては1950年公布の国土総合開発法からはじまった

戦前より東京都や神奈川の東京湾沿岸の工業化は進んでいました。戦後、国はダメージを受けた東京湾岸の工業地帯の再生と延伸を国策とします。千葉県も農業から工業への転換を図りたいと考え、工業化がほとんど進んでいなかった千葉県側の東京湾沿岸、京葉工業地帯の開発が促進されることになりました。1961年には木更津市に隣接する君津市に八幡製鐵が誘致されることが決定され、1963年の清見台団地の開発を皮切りに、木更津市では様々な分譲地、宅地、団地が開発されていくことになります。

木更津市の主なニュータウン

分譲地と宅地、団地開発の歴史

1963~2003年
清見台団地

計画戸数:15,000戸 計画人口:50,000人


新日本製鐵とその関連会社の社宅が多く立地し、関係者が居住しています。清見台市街、清見台第二市街、清見台第三市街と3つの地域に分け、区画整理と開発が行われました。

清見台市街 清見台第二市街 清見台市街
◆開発期間

1963年(昭和38年)
~1998年(平成10年)

計画人口:4,950人
◆開発期間

1967年(昭和42年)
~1999年(平成11年)

計画人口:17,270人
◆開発期間

1970年(昭和45年)
~2003年(平成15年)

計画人口:17,800人

木更津市で最も歴史がある分譲地。清見台市街、清見台第二市街、清見台第三市街、それぞれ開発初期に立てられた建物は既に建て替えられていたり、リフォームを繰り返しているものも多い。また、開発初期に立てられた建物が取り壊され、売りに出されている土地や老朽化している建物も目立ちます。清見台第三市街も開発終了から十数年が経過しており、春や秋のリフォームシーズンになると、足場が架けられ、塗り替えなどの外装リフォームを行っている家屋を目にします。


1970~1975年
シーアイタウン

計画戸数:2,000戸 計画人口:8,000人


実際の地名と住所は木更津市大久保で、「シーアイ」は伊藤忠都市開発会社のブランドです。シーアイタウンの名前が付くニュータウンは全国に点在し、いずれも伊藤忠都市開発か鹿島建設が関わっています。

大工さん



木更津市の他の分譲地と較べると、小規模で開発期間も短いのが特徴です。森に囲まれており、閑静でこじんまりとしているのが良い雰囲気を出してます。長めのウォーキングやジョギングなどをするのに適した環境です。開発から長年が経過し、古めの家屋も多いですね。そういったお住まいは本格的な屋根リフォームを考える時期に来ています。





1970~1985年
貝渕

計画人口:4,730人


木更津県時代に県庁が設置されていたのが現在の貝淵三丁目11番です。現在の区域は東端がJR内房線、南端が国道16号線、西端が県道90号線を走るかたちになっています。木更津市民会館や市民体育館、近接する潮見地区には市役所(現在は移転中)、警察署、消防署があり、今も昔も行政の中心です。

南端の国道16号線、西端の県道90号線沿いには大型店舗や飲食店アミューズメント施設が並び、現代的な街の景観となっています。旧道沿いなどは古い街並みが残っており、情緒深い風景も楽しめます。価値ある風景ですので、建物の維持・管理を続けて残してほしいものです。


1972~1977年
八幡台ニュータウン

計画戸数:2,700戸 計画人口:10,528人


丘の上に造られた宅地分譲地で、5年で2,700戸、10,500人以上が住む地区を作り上げるという大きなプロジェクトでした。区域の西には1995年に開通した館山自動車道が、東には県道269号が走っています。

現在、県道269号を挟んだ東側の上烏田でも宅地開発が計画されています。日本の高度成長期の最中につくられた住宅地と人口減がはじまった21世紀につくられる住宅地が隣接するのは興味深いことです。築50年と新築が共存する街なんて素敵ですね。


1972~1984年
畑沢第二市街

計画人口:9,400人


海岸の埋め立て地に隣接した斜面の分譲地です。工場地帯との緩衝地として緑地も設けられています。宅地は小高い丘を登り、下ってJR内房線まで続きます。区域の西端から南端付近を片側2車線の道路が走り、工場地帯から内陸を結んでいます。

君津市の境に位置する分譲地で、新日鐵住金をはじめとする工場地帯に隣接しています。こちらに通勤する方には非常に利便性が高いのではないでしょうか。畑沢2号緑地が設けられていますので、緑も充実しています。川を挟んで南西に隣接する畑沢南もほぼ同時期に開発が始まりました。


1972~2007年(平成11年)
請西

計画戸数:2,000戸 計画人口:8,000人


請西は請西、請西南、請西東と3つの地域に分かれており、請西だけでも矢那川から南、国道16号から東の大変広い地域になります。これらの地域におけるニュータウン開発は請西からはじまり、請西南、請西東と全ての地区におよびました。

請西第一市街 請西第二市街 請西第三市街
◆開発期間

1972年(昭和47年)
~1999年(平成11年)

計画人口:7,970人
◆開発期間

1988年(昭和63年)
~2000年(平成12年)

計画人口:7,200人
◆開発期間

1992年(平成4年)
~2007年(平成19年)

計画人口:8,200人

国道16号や国道127号に近い請西は街道沿いに様々なメーカーの小規模な営業所が立ち並んでいましたが、平成の不況とともに多くが撤退してしまいました。請西南、請西東は県道23号とそれに接続する道路が街の中心となっており、ネイバーフッド型のショッピングセンターを中心に数々の店舗が立ち並んでいます。ロードサイド型の地域といってよいでしょう。請西南、請西東は新興住宅地で新しいお住まいが多く、現在も数多くの戸建てが建設されています。

1973年~1990年
桜井

計画戸数:1,300戸 計画人口:5,200人


JR内房線と海岸の埋立地の間に整備されたニュータウンが桜井です。南は君津市に隣接する地域で、その中にはソニーの工場もあります。区域には工場も多く、西端の一帯は海岸の工場との緩衝地帯としてグリーンベルトも設けられています。

桜井にはJR内房線を挟んで飛び地があり、こちらも開発が予定されています。木更津港湾労働者福祉センターなど、港湾や工場関連の施設と住宅地が点在しています。漁師町だった頃と工業化を推し進めていた時代の面影を残している区域です。



1988~2001年
小浜

計画人口:7,000人


「おばま」ではなく、「こばま」と読みます。桜井の南端に隣接する区域で、旧16号を挟み、埋立地に近いに平地と丘陵部に分かれます。平地はかつてから住居や商店、工場としての利用が進んでおり、ニュータウンとして開発されたのは丘陵部です。

1960年代から1970年代にはじまった住宅分譲地開発はいずれも八幡製鉄所の移転と京葉工業地帯の発展、それに伴う人口増に対応したものでした。工業化社会の円熟期に達する80年代後半とプラザ合意による円高によって、ニュータウンの開発スタイルも変化していきます。


1992~2007年
中尾・伊豆島

計画人口:8,200人


中尾は久留里線以南の東京湾アクアライン連絡道の西側、木更津JCTまでの地域で、伊豆島は北端を中尾に接する地域です。両地域とも自動車専用道路を別にすれば、水田が広がるのどかな地域です。

「農村の中を高速道路が縦貫する」、そんな景色が続くのが中尾・伊豆島地域です。館山自動車道、東京湾アクアライン連絡道、首都圏中央自動車連絡道ともに整備が進んだ地域です。


1995年~
木更津ベイサイドヒル港南台
木更津ベイサイドヒル西武港南台

計画戸数:2,000戸


小浜と畑沢の間に位置し、海岸沿いでは最後に開発がはじまった地域です。区域は小浜を取り囲むように北へ延びており、北端は桜井と隣接しています。東西へは館山道と併走する形で、南北へは林の間を抜ける形で開発が進む地域です。

現在進行形の住宅分譲地であり、開発が続けられています。南側の中心には館山自動車道が横断し、国道16号へと連結しています。新しい開発地域なので、新しいお住まいが多い地域です。


1998年~2019年
かずさアクアシティ金田西


計画戸数:2,187戸 計画人口:7,000人



アクアライン連絡道の西側が「かずさアクアシティ金田西」と呼ばれる宅地分譲地で、住所上の表記は「木更津市中島」になります。現在はまだ開発中で水田や畑と海岸近くの漁師町といった雰囲気が溶け合う風情が残されています。


アクアライン開通によって木更津やその近辺の交通事情は劇的に変わりました。横浜や川崎、東京へのアクセスの利便性が大幅に向上し、無理せず通える通勤圏となったのです。これにより、金田をはじめとした木更津近辺の住宅需要が拡大しました。



1999年~2013年
かずさアクアシティ金田東 


計画戸数:3,900戸 計画人口:12,500人



アクアライン連絡道の東側に位置する宅地分譲地で、地域内には三井アウトレットパーク木更津の他、数々の店舗が立ち並びます。現在は道路整備と宅地開発が終わり、新しいお住まいの建設が続いている最中です。


大型スーパー、ホームセンター、家電量販店、そしてアウトレットと買い物するには非常に便利な地域です。黒々としたアスファルトと歩道の白い縁石が新たに開発された地域ということを感じさせてくれます。平日は道路も空いており、快適なのですが、週末には観光客が訪れ、渋滞が絶えません。



2010年~
羽鳥野

計画人口:8,000人


シーアイタウンと八幡台ニュータウンの間に位置するのが羽鳥野です。南北を館山自動車道が縦断しています。現在、開発が進められている最中であり、不動産の折込みチラシではよく名前を目にします。

館山道が開通した後に開発が進められたためか、道路整備と区画整理が
進んでいます。高速道路脇の道路は一方通行です。新しいお住まいばか
りなので、外装リフォームが必要な時期はまだ先ですね。


街並み